みかづき通信

本の紹介、『架空の夫と』の読書日記、日々の生活の記録を残しています。

1㎜だけ、ていねいな暮らし

 ラジオを聴くのが好きだ。最近は、Spotifyやstand.fmでいろんな人のトークが聴ける。
 そこで、気づいたんだが、世は「ていねいな暮らし」にあふれている。そうするとトークが「映える」のだ。
 こんな風に書くと「お前は『ていねいな暮らし』を批判したいのだな」と思われるかもしれないが、否。私も「ていねいな暮らしに」に、めちゃくちゃ憧れている一人です。


 だってさ、「狭いながらに自分のお気に入りの物だけが揃った部屋で、朝を迎え、窓を開けて新鮮な空気を取り入れたら、軽いストレッチやヨガで体を起こす。手抜きだけどSNSに映えるような朝食を作って、涼しい時間から朝散歩。手には文庫本が一冊。散歩途中の公園に立ち寄り、ベンチで一人静かに読書を楽しんだら、帰宅。シャワーを浴びて、さっぱりとした頭と体で朝の日記をノートに書く。ノートには、今日の予定がキラキラと輝いている。午前中にクリエイティブなことをして、午後は自宅でお気に入りの映画を鑑賞したり、ラジオを聴いたり。一日の終わりに、間接照明の中、アロマを焚いてお洒落な雑誌を読みながら就寝」みたいな生活してみたいじゃん!

 

 普段、ぬぼーっとなんとなくで生きてるから、なにか「ていねいなもの」を求めてしまう。
 しかし「ずぼらな私が、ていねいな暮らし……できるのか?」という不安がある。せっかく「ていねいなもの」を取り入れても、それが習慣化しないのだ。

何度挫折し、何度「次こそは!」と思ったことか。
「もしかして私って『ていねいな暮らし』向いてないの?」とそろそろ気づいてきた。でも、やっぱり憧れは捨てられない。
 ならば、と私は考えた。

 

『ていねいな暮らし』から『1mmだけ、ていねいな暮らし』を目指せばいいのでは? と。

 

 例えば、朝。窓を開けて、部屋の空気を入れ替えるのは『1mmだけ、ていねいな暮らし』ではないだろうか。『1mmだけ、ていねいな暮らし』には映えは関係ないし、他の人にわざわざ発信する必要もないほどちいさなことなので肩の力がほどよく抜ける。
 空気の入れ換えがすんだら、お香を焚くなり、ルームフレグランスを使うなりして部屋を好きな匂いで満たしてもいい。そこから、いつもの生活をスタートさせる。ずぼらな生活でもいいのだ。だって、朝に『1㎜だけ、ていねいな暮らし』をしたのだから。一日一善の感覚で、『ていねいな暮らし』を始めてみるのはいかかでしょうか?