ただ空腹を満たす為だけに、雑に作った朝ごはんほどテンションを
下げるものはない。
昨日、うっかりそんな朝ごはんを作ってしまい、たいせつな一日のはじまりが
しょんもり、とした気分になった。
朝ごはんは手軽に済ませる人もいれば、前日から下ごしらえをして時間をかけて朝ごはんを堪能する人もいる。
もちろん、どちらが「正しい朝ごはん」と答えがあるものではない。その人のライフスタイルやお腹の空き具合に合わせて選択すればいい。
けれど、雑な朝ごはんで一日をはじめるのは、もったいないと思う。
私が、こんな風に朝ごはんについて考えるようになったのは、
『奈良まちはじまり朝ごはん』(いぬじゅん/著 スターツ出版文庫)
という小説を読んでからだ。
主人公の南山詩織が、私に「朝ごはんって、ただお腹を満たすだけのものじゃないんだよ」と教えてくれた。
詩織は新社会人一日目にして、会社が倒産。緊張と希望に胸をふくらませていた彼女はショックのあまり奈良の町をさまよい歩く。
「ならまち」という古い町並みを残した通りに入りこむと、そこで詩織は朝ごはん屋の店主、柏木雄也に声をかけられる。
詩織が朝食を食べていないとわかると、雄也は「じゃあ、食っていけ」と平屋の店へと招き入れた。
本作は連続短編集になっている。
私は、朝に一日一話ずつ、それこそ朝ごはんを食べるように読んだ。
最初の詩織を救った「西洋卵焼き」がとても美味しそうで、私も五百円玉を握りしめて、無愛想な(だがイケメン)店主のいる朝ごはん屋に駆け込みたくなる。
だけど、これは物語。いくら舞台の奈良が実在していても、名もなき朝ごはん屋は存在しない。
ああ「西洋卵焼き」食べてみたいなあ、と切実に思う私の気持ちを、「そんなのお見通しだ」と言うように用意されていたのが「西洋卵焼き」のレシピ。
そう、この本には物語の鍵となる朝ごはん六品のレシピが、美味しそうなイラストと共に、ちゃんと載っているのだ。
雄也の腕には劣るが、私にも作れそうと思えるほど簡潔なレシピ。
初めて作った「西洋卵焼き」は不格好ながらに、美味しかった。
「パンは? オムレツだけじゃお腹が空いちゃうよ」と思った、あなた。
ご安心を。これはただ「オムレツ」を日本風に呼んでいる料理ではない。
主食はしっかりと中に包まれている。
このほかにも「ならまち茶粥」、「卵浸しパン」も実際に作ったが、今まで食べたことがない朝ごはんに毎回、驚かされる。
普段は適当に朝ごはんをすませていたので、朝ごはんの楽しみを思い出せた。
一生の間、持ち続けなければいけないお皿が一人では抱えきれないほど重く感じた時、ならまちのはずれに行こう。
迷路のような道の行き止まりある平屋で、一食五百円の「はじまりのごはん」が待っている。
朝ごはんを食べ終えた頃、心の中にあった重いお皿は、軽くてまっさらなお皿に変わっているだろう。