私はどんな「本の結び屋」になりたいのか。
最近、精神的に本が読めない状況なので、初心に戻って考えてみる。
私の理想とする「本の結ぶ屋」は、高齢の方が輝くイメージがある。
顔に刻まれたシワの数だけ、本と人生を共にし、優しい「お見合い」の場を
用意できる人。
常に穏やかな笑みを浮かべ、本と読み手の「お見合い」の話になると
宇宙のきらめきを宿した瞳で世話を焼く。
そんな人になるには、私には経験が圧倒的に足りていない。
もっと本を読まねば、と焦る。
しかし、焦ったところで踏み出した一歩から足を滑らせ、
真っ逆さまに落ちていくだけだ。わかっている。私にはまだまだ
「本の結び屋」としてのスキルが足りない。
見習いの「本の結び屋」だ。
立派に「本の結び屋」と名乗れるのはずっと、ずっと先のことだろう。
一足飛びで「本の結び屋」にはなれない。じっくり時間をかけてなっていくもの
だから。
だからと言って、ぼーっと時間を浪費していてもいけない。
見習いは、ひたすら本を読み、拙い文章で感想を綴り、先輩である「本の結び屋」や
本の森で迷子になりかけている同士と交流を持つ必要がある。
それには、勇気が必要だ。孤独に溺れない勇気を持つ人だけが「本の結び屋」に
一歩近づける。
思えば私は、幼い頃の殻を突き破れていないのかもしれない。
本と読み手を繋げたいと思っているのに、いろいろな壁を想像しては恐ろしくなって殻の中に逃げ込む。殻の中は安全だ。誰にも傷つけられないよう、そっと息をひそめていればいいのだから。
大人になっても私のように幼い頃の殻に閉じこもってしまう人は
意外に多いのでは、と思う。
別に統計を取ったわけではないのだが、今の世の中は「失敗」や「恥」に対して
とても厳しいと感じている。
普通にしているだけで、誰かに中傷されることもある。
殻の外は「失敗」と「恥」の連続だ。
怖くてたまらない。
それでも、殻を突き破る「勇気」は必要だ。