我が家には、父の部屋がある。
その部屋には、私が生まれた時から、ジャズのレコードを聴くための再生機器や
大きめのスピーカー(購入から40年以上経っている)が用意されていた。
父の持っているレコードは、ほぼ高校生の頃に通っていたジャズ喫茶が
閉店する時に店主が「好きなの持っていきな」とタダで譲ってもらったものらしい。
もちろん、父はCDのジャズも聴くけれど、もっぱら青春時代のレコードを流している。
私は小さい頃、ジャズはわからなかったけれど、音楽が流れている時の
父の部屋は、特別なのだと感じ取っていたので、近づくことができなかった。
ジャズのレコードを聴いている時だけ、そこは「父の青春の聖域」となる。
そのせいか、大人になってもジャズへは畏怖の念を抱いていた。
しかし、最近仕事でレコードに触れる機会があり、勉強のために
父の聖域におどおどしながらお邪魔する事になった。
不慣れな手つきで、レコードに針を落とす。
この機械もとても古いものなので、細かい調整をしないとうまく
針が落ちてくれない。
そのことを考えると、CDやスポティファイでジャズを聴いた方が
楽なのだが、あのくるくる回る円盤に針を落とした瞬間は『特別』なんだと思う。
正直にいうと、父もジャズに詳しいわけじゃない。
何十年もジャズを聴いているのに、父は演奏者やタイトルもろくに覚えていない。
ただ、「この曲が好き」だから聴いている。
流れるジャズを心地よいと感じているだけ。
知識から入ると「この人は有名な演奏者だから最高の音楽に違いない」という
先入観というか、色眼鏡をかけてしまうことがある。
父は、そういうものが一切ない。
まっさらな心で、ジャズを子供のように楽しんでいる。
それは、音楽にとっては、最高なことなのではないだろうか。
今度、近場にあるジャズ喫茶に父たちと行く約束をしている。
そこはどんな『聖域』なのだろう。
今から楽しみでしょうがない。
それでは、今日はこの辺で。ありがとうございました!