みかづき通信

本の紹介、『架空の夫と』の読書日記、日々の生活の記録を残しています。

自分で本を開こう

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 幼少期からいじめにあっていて、人生は暗黒だった。
 ちょっと小突くとすぐに泣く私の反応が面白かったのだろう。
 男子からのいじめは幼稚園から始まっていた。
 今でも、幼稚園ぐらいの男の子を見ると怖くてたまらない。
 中学生になると、周囲の男の子は私を汚物扱いした。
 中学生くらいの男の子をみると、心臓がぎゅっと握りつぶされる。 
 もちろん楽しいことも確かにあったけど、つらいことの方が大きく見えて、毎日を回転車のハムスターみたく走っていた。

 

 三十代になり、それなりに肩の力が抜けてきた今だから思う。
 若い内には苦労よりも、読書をどんどんしておくといい。
 苦労にお金を出すくらいなら、書店でお金を払って一冊の本を買う方が有意義だ。
 苦労は何もしなくても、勝手にやってくるけど、読書は、まず自分が「本を読む」という行動を起こさないとやってこない。

 

 じゃあ、三十すぎた読書は遅すぎるのか、というとそういうわけではない。
読書は何歳から始めてもいい趣味だけど、それでも自分の過去を振り返り、学生時代にもっとたくさん本を読んでいればよかったと思う。

 

 例えば、私は十年以上かけて人生の細々としたことに悩んでいた。
 家族・友人関係、お金、仕事、健康……本当に細々とした、「誰でも」が悩むことをずーっと一人で悩み続けてきた。
「それだけ悩んだから、今の貴方があるのよ」と言われるとそれまでだが、正直時間を浪費しすぎた気がする。

 

 でも、ある時、気づいた。
 小説や自己啓発本、ビジネス書……本に私の悩みのヒントが書いてある、と。
 レアなケースではなく私は、「誰でも」が悩むことに悩んでいたのだ。

先達がいないわけがない。
 そして、今はありがたい世の中で、書店で数千円払えば「ヒント」が書かれた本が読める。

 図書館にある本なら無料で、だ。 
 本を読むと気づくのだが、本当に特別な場合をのぞき、人間が悩んでいることは千年以上前からたいして変わらない。
 昔の人も家族や友人関係に苦るしみ、お金がないと嘆き、よりよい仕事を求め、健康な体が欲しいと願っていた。
 そっくりそのまま実践できることばかりではないが、自分で考え、アレンジを加えることはできる。
 悩み解消へのヒントを見つけ行動すれば、今日は昨日までの人生とは違う方向へと向かっていく。

 

 小・中学生は児童書や伝記だけじゃなくて、もっと大人も読む小説や自己啓発、ビジネス書も読んでみるといい。
 難しい言葉にぶち当たったら、大人か辞書、グーグル先生を頼ろう。
 特に思春期で悩みや不安が多い子は、どんどん本から先達の経験を追体験しよう。
 きっと「あっ、こうすればいいのか」と気づきがあり、世界が広がる。
 
 わざわざ狭い世界にいる必要はない。

 もっと息のしやすい場所で深呼吸をすればいい。
 貴方の人生は、一度っきりなのだから。

仕事にガチ恋している話

 お父さん、お母さん、私は「本の結び屋」として「書評」に惚れてしまいました!!

 

「本の結び屋」と聞いても ん? と首を傾げられる方もいらっしゃるでしょう。
 この「本の結び屋」とは私が考えた職業で、主に「物語を紡ぎ、物語と人を繋ぐ」ことを目的としています。
 物語を「紡ぐ」のは、主に小説の創作活動を。物語と人を「繋ぐ」のは、主に書評活動を指します。
「紡ぐ」ことは(結果はどうあれ)長年やってきたことですが、「繋ぐ」ことはまったくの未経験。
 そんな私ですが、先日、書評サイト『ブックレコメンド』にて書評を寄稿することができました。

 宣伝になってしまいますが、こちら↓がその書評です。
「いいね」の数×30円が原稿料になるので、ページの下部にある

「いいね」ボタン(ログインせず、誰でも押せます)を押していただけると助かります。

 

『小公女』フランシス・ホジソン・バーネット(著)の次に読む本 – ブックレコメンド


『ブックレコメンド』に書評が載ると決まった日と実際に記事が公開された日は、

 

「このままじゃ鼻から滝のような血を流す!」

 

と思ったほどの興奮と緊張を覚えました。

 こんな気持ちになったのは、乙女ゲー(女性向け恋愛ゲーム)を

プレイする時くらいです! もう、これはガチ恋ですよね! 

 

………。

 

 んん゛! さて、私の拗らせ具合は横に置いておいて。
「ブックレコメンド」には引き続き、(採用されれば)書評を寄稿していきたいです。
 今回はたまたま審査に通っただけなので、きちんと「書評」のお仕事について知っておきたい。
 ネット検索すれば「書評の書き方」くらいはすぐにヒットしますが、情報は膨大です。
 ずぼらなので、できれば、本3冊分くらいで全てをすませたい。
 なら、本を読むか、とアマゾンで検索(地元の本屋は、どこも書評の本は置いてなかった)するもこちらも数が多い。
 人生は選択の連続と言うが、本文の確認できないネットで、目的の本を選ぶのは素人には無理だぁ! とPCを閉じました。
 枯れない泉のようにお金が湧き出ていれば、気になった本を片っ端からカートに入れて購入できますが、現実は「無職」。
「無職」とはすなわち「お金がない」のであります。
 あまりお金をかけずに、自分の代わりに本を選んでくれる人はおらんかねー、と嘆いた時、思い出したのは「レファレンス」という言葉。


「レファレンス」とは図書館(や図書室)にて、司書さんに本の相談(「○○に関する資料を探している」「××について書かれた本はありますか」など)ができるサービス。

 

 もちろん、無料である。
 なのに、選んでくれるのは本のプロ。
 無料な上に質の高いサービスが受けられるって……すごいな。
 図書館には何度も通っていますが「レファレンス」をするのは初めて。
 結構、ドキドキしながら司書さんに
「あのぉ、書評の書き方とか、仕事内容について書かれた本を探しているのですが」
 と尋ねると、「少々お待ちください」とキーボードをカタカタ。
 お。これは今年の本屋大賞で二位を獲った『お探し物は図書室まで』(青山美智子/著)の世界観!! とか心の中で思っていると、本がヒットします。
 しばらくして司書さんが書庫から持ってきたのは、

『ニッポンの書評』(豊崎由美/著)

『書評はまったくむずかしい』(赤坂憲雄/著)

 の二冊。

「今、当館にあるのはこの二冊だけですね」
 司書さんは少し申し訳なさそうにしていたが、いやいや! ありがたいです!
 中身を確認してから、私はこの二冊を借りて無事、帰宅。
 まだ、全部を読み終わったわけではないが、今までよくわからなかった「書評」「書評家」について書かれているので勉強になります。
 
 この他に、実際に書評家として活躍している方の生の声が聞けるものはないかとYouTubeで動画を検索したら、ありました。

 

youtu.be

 

 メモを取りながら視聴しましたが、た……ためになる!
 これも公式チャンネルが無料で公開している動画。

 

 無料って怪しいイメージがありますけど、きちんとした所を探せばちゃんと入り口は用意されているのですね。
 これから、もっと「本の結び屋」という職業を名乗れるよう勉強していきます。
 もちろん、勉強だけじゃなく、実際に行動して「書く」ことも続けます。
 こんなに惚れこんだ仕事を見つけたのは久しぶりなので、両思いになれるよう自分を磨きまくる! ダイヤの原石になってやるわよ!

 

 

 

 

 

 

1㎜だけ、ていねいな暮らし

 ラジオを聴くのが好きだ。最近は、Spotifyやstand.fmでいろんな人のトークが聴ける。
 そこで、気づいたんだが、世は「ていねいな暮らし」にあふれている。そうするとトークが「映える」のだ。
 こんな風に書くと「お前は『ていねいな暮らし』を批判したいのだな」と思われるかもしれないが、否。私も「ていねいな暮らしに」に、めちゃくちゃ憧れている一人です。


 だってさ、「狭いながらに自分のお気に入りの物だけが揃った部屋で、朝を迎え、窓を開けて新鮮な空気を取り入れたら、軽いストレッチやヨガで体を起こす。手抜きだけどSNSに映えるような朝食を作って、涼しい時間から朝散歩。手には文庫本が一冊。散歩途中の公園に立ち寄り、ベンチで一人静かに読書を楽しんだら、帰宅。シャワーを浴びて、さっぱりとした頭と体で朝の日記をノートに書く。ノートには、今日の予定がキラキラと輝いている。午前中にクリエイティブなことをして、午後は自宅でお気に入りの映画を鑑賞したり、ラジオを聴いたり。一日の終わりに、間接照明の中、アロマを焚いてお洒落な雑誌を読みながら就寝」みたいな生活してみたいじゃん!

 

 普段、ぬぼーっとなんとなくで生きてるから、なにか「ていねいなもの」を求めてしまう。
 しかし「ずぼらな私が、ていねいな暮らし……できるのか?」という不安がある。せっかく「ていねいなもの」を取り入れても、それが習慣化しないのだ。

何度挫折し、何度「次こそは!」と思ったことか。
「もしかして私って『ていねいな暮らし』向いてないの?」とそろそろ気づいてきた。でも、やっぱり憧れは捨てられない。
 ならば、と私は考えた。

 

『ていねいな暮らし』から『1mmだけ、ていねいな暮らし』を目指せばいいのでは? と。

 

 例えば、朝。窓を開けて、部屋の空気を入れ替えるのは『1mmだけ、ていねいな暮らし』ではないだろうか。『1mmだけ、ていねいな暮らし』には映えは関係ないし、他の人にわざわざ発信する必要もないほどちいさなことなので肩の力がほどよく抜ける。
 空気の入れ換えがすんだら、お香を焚くなり、ルームフレグランスを使うなりして部屋を好きな匂いで満たしてもいい。そこから、いつもの生活をスタートさせる。ずぼらな生活でもいいのだ。だって、朝に『1㎜だけ、ていねいな暮らし』をしたのだから。一日一善の感覚で、『ていねいな暮らし』を始めてみるのはいかかでしょうか?

『架空の夫と』(7月8日)

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 架空の夫の作った鶏の照り焼きをたらふく食べてから、二〇一九年 八月号の

『&Premium ひとりの時間は、大切です。』を少しずつ読む。

『&Premium』は毎月興味が惹かれる特集を組んでいる雑誌だ。

 

 この号では、「ひとり時間」についてい著名人にアンケートをとっており、各々の「ひとり時間」についての回答が掲載されている。
 どれも素敵な回答だが、(悪い意味ではなくて)真似しようとは思わない。
 だって、私の「ひとり時間」は私にしか作れないから。
「ひとり時間」って言い換えると「自分で作るオーダーメイドの時間」なんだな、と。
 ひとりひとりの体調・生活リズム・家族構成などなどを考慮して「ひとり時間」を組み立てていくのは、なんだかわくわくする。
 雑誌を読んでいて、居ても立っても居られなくなり、さっそく無地のA4ノートに「私の求めているひとり時間」を書き出してみる。
 まず思いついたのは、早朝の散歩読書。雨の降っていない日に、公園のベンチで読書する。近場の公園なので、持って行くのは単行本でも文庫本でも良い。誰にも邪魔されない「ひとり時間」。想像しただけで、胸の中がぽっと温かくなる。
 その後も、いろいろと書き出してみたが、やはり私の胸の中がぽっと温かくなった(キュンとしたといえばいいのだろうか)は最初に書いた早朝の散歩読書だった。

 

私が「明日から、ひとりで散歩読書してみようかな」と、呟くと、架空の夫は「がんちゃんのやりたいことをやってみると良いよ」と背中を押してくれた。
 そうだ、散歩読書から帰ってきたら、架空の夫が淹れてくれたハーブティーを一緒に飲んで、「ふたり時間」を過ごそう。
 きっと、その時間もキュンとする。

ベストな読書環境

 先日、比較的近場にあるブックホテルに姉と二人で一泊してきた。
 ブックホテルは初体験だったので「よし! たくさん本を読む時間にするぞ!」と決めていた。
 けれど、実際に読書した時間は一時間未満(本は一冊購入)。
 じゃあ、それ以外は何してたかって?
 喫茶スペースでお菓子食べたり、部屋のベッドでごろごろしながらスマホいじってました。
 夜に巻き返そうと思ったものの、深夜までスマホSNSチェック。
 はい、普段と何も変わらない!
 あー、せっかく雰囲気の良いホテルだったのに……私は何をしていたのか(A.スマホ触ってた)。
 素敵な読書空間に身を置いたからといって、他の誘惑に負けているようじゃ、何時間いようともベストな読書はできないのだな、と痛感いたしました。
 今回の出来事で浮き彫りになった私の問題点は、

 

・物事の優先度が、読書<スマホになっている
・完全な無音だと落ち着かない
・かといって音楽やラジオを流すと気が散る

 

 現代っ子と呼ぶには歳を喰いすぎてるが、やはりスマホの誘惑は強いですね。
 また、「わがままか!」と呆れられそうですが、完全な無音はダメ。でも、歌詞あり/なしでも音楽・ラジオは気か散ってしまう。
 これらのことから導き出した改善案が、

 

スマホは遠くに置いておく・極力操作しない
・雨の音など普段から聞き慣れた、不快にならない環境音を流す

 

 帰宅後に気づいたのですが、環境音+ポモドーロ動画がしっくりくる。

 静かな雨の音とか、すごく集中できた。

 

 また、私は今までの経験で「読書進むな」と思った場所は公園のベンチで、時間は太陽がのぼった早朝。
 早朝だと騒音が極力おさえられ、自然の音が無料で流れている。
 晴れた日は、うつ病に良いとされる日光浴もできるし、良いことずくめでは?
 気づいてなかっただけで、私の体は自分のベストな読書環境知ってたのですね。

 

 今後は、ベストな読書環境を意識して本を読んでいきます!

『架空の夫と』2021.07.03

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「夏が来たぞ!」と私は、久しぶりに顔を合わせた架空の夫に言った。 別にケンカをしていたわけではない。同じ家に暮らしていても(主に私がふさぎこんでいて)顔を合わさないこともあるのだ。
 こんな時は、架空の夫は透明人間に徹してくれる。
 そして、私が復活すると以前のように優しい笑みを浮かべて話を聞いてくれる。
「角川、集英社、新潮社が大々的に開催する夏の文庫祭りじゃー!」
 今だって、へんてこに踊り狂う妻を見ても彼の口元から笑みは消えない。
「つまり、がんちゃんもそのお祭りに参加したい、と」
「さすが! わかってるね!」
 親指をぐっと突き立てる。
「明日の休日は一緒に本屋に行きましょう」
「いいよ。車出して、少し大きめの書店の方に行く?」
「ありがとうー! 愛してる!」
 私は、ぎゅっと架空の夫を抱きしめた。
「それじゃあ、今夜は夜更かししないで寝るんだよ」
「わかった!」と私は元気よく返事をすると、その日はすぐさま床に就いたのだった。
 夏の文庫フェアは、どうしてこうも心躍るのだろうか。


 翌日、少し早めに私と夫は車で大型書店にやって来た。
 開店前の駐車場には、すでに私たち以外の車が結構停まっていた。
 さすが大型書店。さすが休日。
 開店まで、私は各社の特設サイトをスマホで眺めながら「これは絶対買う!」

「あー、これ気になってたやつ」とブツブツ呟く。
 架空の夫は、車から流れるジャズを聴き入っていた。
 いよいよ、開店時間。
 車から出て、書店の入り口に並ぶ。
 すっかり夏らしい暑さが頭から全身を包み込む。
「がんちゃん、お水」
「ん」
 渡されたペットボトルの水を一口飲むと、続けて口の中に塩タブレット

放り込まれた。
 私は、夏が――というか、この暑さが大の苦手である。
 体が貧弱なので、毎年、夏バテにならないよう架空の夫が気を配ってくれるが、必ずバテてしまう。
「夏の馬鹿野郎!」と思うことの方が多いのだが、この毎年恒例の夏の文庫フェアだけは別である。各社が力を入れたラインナップに心が躍る。
 時間ぴったりに自動ドアが開き、ひんやりとした冷房の効いた書店の中に足を踏み込むと、私はわくわくと文庫フェアの売り場へと向かう。 ずらりと壁に並んだ、三社の文庫本。
 チェックをつけていた文庫の他に、帯のフレーズに惹かれた文庫を手に取る。
 結果、今年は新潮一冊、集英二冊、角川一冊の計四冊の文庫を抱えて、

レジに向かった。
 文庫とはいえ、四冊買うと財布から札が溶けて消えていくが「いいんだ。単行本二冊分の金額で四冊の小説が買えたんだから」とウキウキしながら、架空の夫と合流。
 夫も、ジャズの雑誌を一冊買ったので、ほくほくした笑みを浮かべていた。
「がんちゃんは、何買ったの?」
「えーっとね。新潮文庫は『キッチン』、集英社文庫は『すきまのおともだちたち』と『本と鍵の季節』、角川文庫は『アルケミスト』」
「あれ? 『キッチン』は単行本と文庫、持ってなかったっけ?」
「うっ……だって、今年のプレミアムカバーだったんだもん」
 それに、吉本ばななさんの『キッチン』は何冊あっても良いのだ。
 夫もそう思ったのか「あれは良い小説だよね。プレミアムカバーも納得」と言ってくれた。
「あとね! 今年の集英社の特典が可愛いの!」
 私は書店のお姉さんが本と一緒に袋へ入れてくれた「よまにゃ」の栞を二つ、

見せる。
 今年はマグネット式の栞で、私は黄色と赤色のを選んだが、他の色も集めたいほど可愛らしい。
「これで今年の夏は読書がはかどりそうだね」
「うん!」と私は力強く頷いて、架空の夫が運転する車へと乗り込む。

 

 コロナで夏祭りは開催できなくても、こうして本屋で今年の夏を感じられることが嬉しかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

近況報告

 お久しぶりのブログ更新です。多分、もう私のことは忘れ去られてるな……と思いながら、こそっと更新にきました。


 まず、初めにお伝えしたいことがひとつ。
 作家のほしおさなえさん主催の140字小説コンテストの「四月の星々」で、私の書いた140字小説が佳作に選ばれました。
 初めての挑戦で、まさか佳作をもらえると思っていなかったため「ひぇ!」と、しばらく夢を見ているかのようでした。
 今年は、小説家としての「実績」を残したいと思っていたので嬉しいです!
 しかし、五月から生活がバタバタとしていたため、五、六月はまったく本が読めませんでした。
「本の結び屋」と名乗る以上、これはいかん!
 七月はリハビリ期間として、意識的に文章に触れていこう。
 読書は強制や義務でするものじゃないけれど、今回ばかりは「読め~!」と本に向き合わねば。
 だいぶ鈍ってしまった読書のアンテナをたてなおそう。

 手始めに気になってた韓国エッセイ「あやうく一生懸命生きるところだった」を読み始める。
 ちょうど「人生に正解なんてないのに僕らは正解を探し求めている」(意訳)という話を読んだ次の日に姉が「この道で正しいと思っても、外野の声で不安になるんだよね」と言っていたので、この本は私よりも姉が読むべきなのでは? と思ったり。

 あと、「1日3時間だけ働いておだやかに暮らすための思考法」という本のタイトルに「いや、毎日3時間も働きたくない」と思ってしまいました。
 今、他人様が引くほど「働く」というスイッチがオフなんだな……私。
 ずっと家に引きこもっているので、体力も落ちてる現在、まずは体と心を整えるべき時なのだ、と自分で自分をなぐさめる。
 700歩、歩いたら足がぷるぷる震えだした時は「私……終わった、な」と変な方向に悟りを開きかけた。
 ちょっと気を抜くとすぐこれだ。
 四月からいろんな事が中途半端になっているので、少しずつ整えていきます。