みかづき通信

本の紹介、『架空の夫と』の読書日記、日々の生活の記録を残しています。

『架空の夫と』2021.07.03

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「夏が来たぞ!」と私は、久しぶりに顔を合わせた架空の夫に言った。 別にケンカをしていたわけではない。同じ家に暮らしていても(主に私がふさぎこんでいて)顔を合わさないこともあるのだ。
 こんな時は、架空の夫は透明人間に徹してくれる。
 そして、私が復活すると以前のように優しい笑みを浮かべて話を聞いてくれる。
「角川、集英社、新潮社が大々的に開催する夏の文庫祭りじゃー!」
 今だって、へんてこに踊り狂う妻を見ても彼の口元から笑みは消えない。
「つまり、がんちゃんもそのお祭りに参加したい、と」
「さすが! わかってるね!」
 親指をぐっと突き立てる。
「明日の休日は一緒に本屋に行きましょう」
「いいよ。車出して、少し大きめの書店の方に行く?」
「ありがとうー! 愛してる!」
 私は、ぎゅっと架空の夫を抱きしめた。
「それじゃあ、今夜は夜更かししないで寝るんだよ」
「わかった!」と私は元気よく返事をすると、その日はすぐさま床に就いたのだった。
 夏の文庫フェアは、どうしてこうも心躍るのだろうか。


 翌日、少し早めに私と夫は車で大型書店にやって来た。
 開店前の駐車場には、すでに私たち以外の車が結構停まっていた。
 さすが大型書店。さすが休日。
 開店まで、私は各社の特設サイトをスマホで眺めながら「これは絶対買う!」

「あー、これ気になってたやつ」とブツブツ呟く。
 架空の夫は、車から流れるジャズを聴き入っていた。
 いよいよ、開店時間。
 車から出て、書店の入り口に並ぶ。
 すっかり夏らしい暑さが頭から全身を包み込む。
「がんちゃん、お水」
「ん」
 渡されたペットボトルの水を一口飲むと、続けて口の中に塩タブレット

放り込まれた。
 私は、夏が――というか、この暑さが大の苦手である。
 体が貧弱なので、毎年、夏バテにならないよう架空の夫が気を配ってくれるが、必ずバテてしまう。
「夏の馬鹿野郎!」と思うことの方が多いのだが、この毎年恒例の夏の文庫フェアだけは別である。各社が力を入れたラインナップに心が躍る。
 時間ぴったりに自動ドアが開き、ひんやりとした冷房の効いた書店の中に足を踏み込むと、私はわくわくと文庫フェアの売り場へと向かう。 ずらりと壁に並んだ、三社の文庫本。
 チェックをつけていた文庫の他に、帯のフレーズに惹かれた文庫を手に取る。
 結果、今年は新潮一冊、集英二冊、角川一冊の計四冊の文庫を抱えて、

レジに向かった。
 文庫とはいえ、四冊買うと財布から札が溶けて消えていくが「いいんだ。単行本二冊分の金額で四冊の小説が買えたんだから」とウキウキしながら、架空の夫と合流。
 夫も、ジャズの雑誌を一冊買ったので、ほくほくした笑みを浮かべていた。
「がんちゃんは、何買ったの?」
「えーっとね。新潮文庫は『キッチン』、集英社文庫は『すきまのおともだちたち』と『本と鍵の季節』、角川文庫は『アルケミスト』」
「あれ? 『キッチン』は単行本と文庫、持ってなかったっけ?」
「うっ……だって、今年のプレミアムカバーだったんだもん」
 それに、吉本ばななさんの『キッチン』は何冊あっても良いのだ。
 夫もそう思ったのか「あれは良い小説だよね。プレミアムカバーも納得」と言ってくれた。
「あとね! 今年の集英社の特典が可愛いの!」
 私は書店のお姉さんが本と一緒に袋へ入れてくれた「よまにゃ」の栞を二つ、

見せる。
 今年はマグネット式の栞で、私は黄色と赤色のを選んだが、他の色も集めたいほど可愛らしい。
「これで今年の夏は読書がはかどりそうだね」
「うん!」と私は力強く頷いて、架空の夫が運転する車へと乗り込む。

 

 コロナで夏祭りは開催できなくても、こうして本屋で今年の夏を感じられることが嬉しかった。