人生の分岐点に立たされた人は、心の余裕を取り戻せるのだろうか。
例えばだが、余命宣告をされた人が、心の余裕(平穏ともいう)を取り戻すことは可能なのか。
今、私も人生の分岐点に立たされている。
最初に求めたのは「なにもかも正常な私」。
正直「読書」や「ていねいな暮らし」なんて二の次、三の次だった。
「とにかく正常な状態に戻してくれ!」と泣いたところで、「はい、わかりました。何もかも正常に戻しておきますね」なんてことは今の医学にはない。それは魔法だ。
昨日は病院の検査や体調不良で、帰宅後、脳みそが溶けるほど眠った。
翌朝、体から疲労感は抜けないし、抱えている問題は解決していない。
気を紛らわそうと、読書やアイデア出しをしようと机に着くが、不安と心配で何も手がつかなかった。
(大丈夫、死ぬわけじゃない)
(でも、私にとって大きな部分を失うことになるかもしれない)
まだ検査の結果が出きったわけでもないのに、そんなことをぐるぐる考えていた。
夕方になり「お風呂に入りたい」と思い、風呂掃除をした。
ただの掃除だけれど、そこには確かに「以前と変わらない日常」があった。
そのことに気がついた瞬間、不安と心配でがんじがらめになっていた心がゆるんだ。
「何気ない日常」により、心の余裕が戻ってきた。
ぎゅうぎゅう詰めだった心に余裕が生まれたことで、「問題を自分で重くしていた」ことに気がついた。
軽い問題ではなかったが、まるで悲劇のヒロイン気取り。
ああ! 恥ずかしい!
冒頭の「人生の分岐点に立たされた人は、心の余裕を取り戻せるのだろうか。」という自分の疑問に対して、今の私は「取り戻せる」と答えたい。